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国際政治について考えるのって難しい!

「国際政治について考えるのって難しい!」

 

経済学部に所属しながら国際法を勉強していた、あの頃から早十年余り。

 

未だにそう思うから不思議だ。

 

そこで、そんな初歩的な問題で今後挫けないように、国際政治について考えるのがなぜ難しいのか整理してみた。

 

こんなにも難しい

国際政治の難しさを表す有名な歴史的な言葉がある。

 

「複雑怪奇」がそれだ。

 

1939年8月末、平沼内閣は「(欧州情勢は)複雑怪奇」という言葉を残して総辞職した。

 

反共産主義を掲げていたドイツがソ連と不可侵条約を結んだことが、日本の外交方針の前提を覆してしまったからだ。

 

だが、ヒトラーはその後、すぐにポーランドに侵攻(9月)。第二次世界大戦が始まったのだった。

 

難しさの第一の壁

第二次世界大戦へ至るヒトラーの行動は、それ自体に多層的な視点が求められるから難しい。

 

しかし、僕たちにとっての最初の難しさの壁は、もっと単純なものだと思う。

 

例えば、現代における大問題を代表するものとして、戦争、環境、少子高齢化、AIの問題などを挙げてみるといい。

 

それでも足りなければ、貧困、格差、自由、人権、生物多様性、持続可能性などを加えてみることもできる。

 

一体どう感じただろうか?

 

僕だったらこう感じる――「現代には問題が多すぎる!」

 

問題が多すぎるとは?

問題が多すぎると言う事実は、単に一つの問題として抽出できる関心分野(例えば、戦争や環境など)が多すぎるというだけのことを意味しているのではない。

 

僕たちは、その問題のそれぞれにおいて、余りにも広く、かつ複雑な視点を要求されているのだ。

 

例えば、戦争について考える時、僕たちはまず、具体的な戦争に関して、その歴史的背景を知る必要を感じる。

 

現在の戦闘の様子も知らなければならないし、メディアや論者の主張にも目を離せない。

 

また、異なる宗教について知る必要もありそうだし、戦争一般を理解するために、国際政治学の世界に足を踏み入れるかもしれない。

 

知れば答えられるのか?

正直、それだけでも十分、一般人に可能な努力を超えてしまっているようにも思われる。

 

簡単に言えば、たくさんある問題のたった一つだけを取ってみても、とても調べきれないということだ。

 

しかも、更に不幸な事実もある。

 

というのも、僕たちがある問題に関して、現状、歴史、文化的視点、科学的視点など、手に入るあらゆる情報を何とか得られたとする。

 

だが、それにも関わらず、僕たちは最終的な回答を提出するにはまだ足りないと感じるかもしれない。

 

なんと、関連する情報を全て知れば、自動的に意見が固まるわけではないのだ。

 

僕の場合

知れば答えられるわけではない具体例として、僕自身の経験を振り返りたい。

 

僕は大学生の時、経済学部ながら国際法を勉強していて、国際政治にも興味があった。

 

当時の関心の一つは、日韓、日中の歴史問題だった。僕はその歴史や関連する国際法について、書籍や論文を読んだ。

 

すると、国際法を形式的に適用する立場に立てば、日本政府の主張通り、「請求権問題は条約により解決済み」といった結論でよい、というゴールに至った。

 

だが、それはゴールじゃなくて、始まりだった。

 

なぜなら、僕は一旦、国際法という原理・原則を用いて結論を出したのであるが、僕はそうやって自己主張するのが恥ずかしかった。

 

国際法的な観点からの結論は知ったが、政治的には、あるいは一人の人間が出す答えとしては、自分の結論に、全然満足いかなかったのだ。

 

そんなこともあるのだと知って、僕は途方に暮れてしまった。

 

現代はヤバい

もう一度、僕たちにとって、国際政治について考えるのがなぜ難しいのか整理しておきたい。

 

第一に、問題が多すぎること。その一つ一つを満足に調べるだけでも、無限に時間がかかってしまうこと。

 

第二に、自分なりの結論を出すためには、何らかの原理・原則や価値観が必要だということ。

 

そして、第三に、その原理・原則や価値観を信じられるかどうかすら、今や自明ではないということ。

 

ここで、僕は言いたい。――「原理・原則のレベルから素人が再検討を始めなきゃいけない現代ヤバい。普通にみんな研究者じゃん!」

 

対処法

とはいえ、僕たちは考えることを完全に諦めてしまうわけにはいかない。そこで、一つだけ、最も簡単な対処法を提案してみたい。

 

それは、ある問いに対して、「まずは直観で自分の立場を決めてみる」という手法だ。

 

実際にデモンストレーションしてみよう。

 

まず、今回の問いは「日本の自衛隊は名実ともに軍隊にすべきか?」にする。

 

まず、直観で賛成か反対か決めてしまおう。直観的には、僕は反対だ。

 

次に、なぜ反対だと感じたのか、できる限り言語化してみる。

 

僕の場合、自衛隊が軍隊の地位を得ることで、戦争や徴兵の可能性が高まり、政治的にも生活的にも不確実性(リスク)が高まると感じた。

 

更なるステップ

直観で賛成・反対を決めて、その理由を考えた。案外、それだけでも自分の意見になりそうに見える。

 

しかし、世の中には色々な意見があるので、それだけだと心もとないのも事実だ。

 

ここで、最も重要なことは、僕の経験上では、最初の直観は修正されたり弱められたりはするけれど、完全に消えてしまうことは少ないということだ。

 

確かに僕は、「自衛隊を軍隊にしない方が戦争抑止に好都合なのか?」、「戦争抑止の一般的メカニズムは何か?」といったような、より深い問いに進むべきかもしれない。

 

だが、その場合でも、僕が180度変転して、「自衛隊は軍隊にすべきだ!」と主張し始める可能性は低いだろう。

 

その一方で、「パワー・ポリティクスが独り歩きし、残念ながら対話にもあまり期待できないのだとすれば、力の論理で自衛隊の軍隊化が実現する可能性もある」という見通しを得ることはある(賛成・反対はさておき)。

 

結論

人は、最初から磨いたり鍛えられたりしていないだけで、案外ブレているわけではないのだと思ってみよう。

 

問題が多様かつ複雑で、一つ一つが広範すぎる現代。「一旦調べてから考える」という態度では、とてもやっていけないと僕は思う。

 

最初に直観で意見を出してから、より深い洞察に向かうというやり方は、結局時間はかかるけれど、心理的な不安はちょっと減るに違いない。

 

結論としては、国際政治について考えるのが難しいのは、僕たち一般人には当たり前のことなので、へこまない。

 

直観をもっと頼りにして、そこから少しずつ問いを深めていけばいいのだ。

 

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