「自分は承認欲求の問題で苦しんでいる」。
何はともあれ、そのような自覚に至ったならば、わずかながらでも幸運で、チャンスなのだろう。
なぜなら、多くの人が、それが承認欲求の問題だとは気づかないで、日常の一コマで過度に傷ついたり、あるいは傷つけたりしているからだ。
承認欲求モンスター
「承認欲求モンスター」というと、いかにも迷惑でヤバい奴という印象を持たれるかもしれない。
だが、僕が今回参照した書籍(榎本博明『承認欲求に振り回される人たち』)の中には、決して迷惑とは言えないが、承認欲求の問題で自分自身が苦しんでいるたくさんの人たちが紹介されている。
例えば、「いつもいい顔をしてしまう」、「人の粗探をしてしまう」、「断りたいのに断れない」、「職場や家庭で自分を抑えてしまう」などといった人たちだ。
だから、僕は「承認欲求モンスター」という言葉を、それが他者にとって迷惑か否かに関係なく、「共に承認欲求の問題に振り回されている人たち」という意味で用いる。
承認欲求は悪か?
承認欲求は「人に認められたい」、「受け入れてほしい」という欲求のことだ。
それが、「否定されたくない」、「拒絶されたくない」といった防御的な気持ち、更に反転して攻撃的な気持ちになってしまうと辛い。
であれば、承認欲求は捨て去るべき悪いものなのか?
承認欲求は満たすべきもの
心理学者の榎本さんによれば、その答えはNOだ。
マズローの「欲求の階層説」によれば、承認欲求は満たすべき4つの基本的欲求の1つだ。
基本的欲求がある程度満たされると、人間はより上位の「自己実現欲求」に突き動かされるようになる。
僕たちが承認欲求を持つのは当たり前のことで、「人に認められたい」という気持ちは成長の動機にもなる。
だから、問題は承認欲求を否定することではなく、それとの上手な付き合い方を模索することだと言えるだろう。
自己愛
承認欲求と自己愛という用語の差異や相互関係を、僕は正確には知らない。
ただ、SNSでの自撮り投稿などを見る限り、承認欲求の問題は自己愛を巡る問題と言い換えることもできそうだ。
これは僕の実感に過ぎないが、自己愛は承認欲求の根底にあるようでもあり、一方で、承認欲求からも遊離してしまった何かでもある、そんな風に感じられる。
僕は「自己愛モンスター」でもあるようだ。
自己愛の過剰
自己愛の過剰について、前掲書から少し引用する。
アメリカ精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアルでは、自己愛人格障害は、根拠のない自信、自分は特別という意識が極端に強く、人に対して偉そうな態度を取り、自分が活躍する夢を誇大妄想的にもち、自分はこんなところにいる人間じゃないという思いが異常に強いタイプだとされています。
著者の論旨では、これとはまた異なる「過敏型自己愛過剰」の紹介に重点があるのだが、僕の場合は、このような誇大妄想型の自己愛過剰が当てはまる。
当てはまり過ぎて怖いくらいだ。
万能感
ここで、万能感について、榎本さんの指摘を見たい。
そんな時代だからこそ、現実離れした自己像をもつ人が少なくありません。その現実離れした自己像、つまりカッコイイ自分、有能な自分、みんなから人気のある自分といったイメージに傷がつかないよう、幻想的な万能感にしがみつこうとします。
次の指摘は、更に鋭い。
ちょっとしたことで自分を全否定されたかのようにキレたりするのも、自己愛が傷つけられ、虚勢を張っている自分が崩れてしまう恐れを感じるからに他なりません。幻想である万能感を打ち砕かれ、自分を包み守ってくれている保護膜が取り除かれる恐怖から、攻撃的な反応に出るわけです。
僕としては耳が痛いどころではなかった。
特に、「自分を包み守ってくれている保護膜」という表現はまさに的確で、ただの比喩とは思われない。
迷惑
僕はとりわけ人を傷つけようとか、迷惑をかけたいなどとは思っていない。
SNSでの悪ふざけ投稿などを見ると、自分とは全く関係のない愚行のようにも感じられるが、よく考えると、そう言って安心してられもいられない。
僕も家族、友人、職場にはたくさん迷惑をかけてきた。
急に人付き合いが苦しくなって退職したり、LINEを消してしまったりしたことも一度ではない。
「人にどう見られているか」。
「自分はどうあるべきか」。
そんな問題に苦しむあまり、決して誰も悪くないのに、八つ当たりのような気持ちを抱きながら関係を断ってきた。
典型的言動
幸い、今の自分にはパートナーもいるし、家族との関係は良好になった。
ただ、「承認欲求モンスター」を抜け出すのは簡単なことではなさそうだ。
先日も、パートナーに自分の至らない点を指摘されて、「馬鹿にされてるみたい」と言ってしまった。
榎本さんの書籍を読んだのはその後のことだが、振り返ってみると、自分の言動が典型的過ぎてびっくりする。
泣き言
辛いのは、まず勇気がないことだ。
僕のパートナーなどは、過去大変苦しいことがあって、それをきっかけに時間をかけて自分を変えてきた、鍛えてきたという事実がある。
僕だって少しずつ変化しているとは思う。
ただ、その変化や成長は過剰な万能感に背中を押されたものに過ぎず、弱くても本来の自分の強さで直接、現実に直面できている自信はない。
勇気を出すのを億劫がっている限り、過剰な万能感とは縁が切れないのかもしれない。
僕の心臓を一つの細胞に例えると、万能感はそこからじわりと湧いてくる神経伝達物質で、僕の身体はそれで動いているみたいだ。
自己開示
個人的な弱音を吐露して終わるわけにはいかないから、榎本さんの提案を参考に、承認欲求と上手に付き合うための一つの方法に言及しておきたい。
それは、誰かに自分のことを話し、知ってもらうことだ。これを「自己開示」と言う。
もしかすると、こんな恐ろしい手法は他にないと思うかもしれない。自分の大事なこと、暗いことを他者に話したくない人も多いだろう。
実際、全ての人と心が通じ合い、理解し合えるわけではない。
だが、一人、またもう一人と、お互いの話を受け止め合う仲間が増えていくことで、確実に対人関係上の自信はついてくるだろう。
自己開示は理想的には双方向のコミュニケーションで、承認欲求の問題を個人的だけではなく、社会的レベルでも解決し得る優れた実践なのだろう。
参考図書:
榎本博明『承認欲求に振り回される人たち』(クロスメディア・パブリッシング)